競輪とケイリンは表記ゆれのように感じますが、競技性は大きく違います。

競輪とケイリンの違い

 

競輪は公営競技として行われているギャンブルで、ケイリンはオリンピック種目にもなっている自転車競技です。
ケイリンは日本の競輪が元になって生まれた歴史があり、大まかなルールは共通点が多数あります。

 

ただし、他の自転車トラック競技と同様の室内コースを使うケイリンは、コースの環境や使う自転車に若干の違いがあるほか、選手同士が意図的にライン(隊列)を組むことが禁止されています。

 

競輪(公営競技) ケイリン(オリンピック種目)
出走数 7~9車立て 原則6車or7車立て
コース 主に屋外 室内トラックコース
路面 333~500m 250m
1周の長さ アスファルト 板張り
距離 2,000m前後(4~6周) 2,000m(8周)
カント(傾斜) 25~35度 45度
自転車 競輪用 トラック競技用
ペースメーカー 有り(手動) 有り(電動アシスト)
勝負所(※) 残り750~800m 残り3周(750m)
ライン 禁止

※勝負所:ペースメーカー(先頭誘導員)がいなくなるタイミング

 

 

それぞれの歴史

 

戦後日本の様子

 

競輪は戦後の復興・財源確保を目的にした公営競技として1948年に誕生しました。
戦後混乱期に登場して全国へ広まったためか複数のローカルルールが生まれ、その名残で現在も競輪特有のルールや傾向が残っています。

 

競輪が登場した当初、競馬(現在のJRA)の控除率が34.5%だったのに対し、競輪の控除率は25%に抑えられたため、登場とともに人気を集めて普及していきました。

 

ケイリン誕生の大きな転機になったのは、競輪界の皇帝と呼ばれた中野浩一選手が1978年の世界自転車選手権プロ・スケッチ(現在のスプリント)で優勝したことです。
競輪選手が国際レースで結果を残したことから、日本自転車競技連盟(日本車連)が世界自転車選手権の種目にするように打診しました。

 

その後、1978年の西ドイツ・ミュンヘン大会にて日本の競輪選手だけでデモレースが開催され、翌1979年には外国人選手も交えたオープンレースが行われます。
そして1980年より正式種目として採用され、ルールや参加資格の変更を行いながら2000年のシドニー五輪よりオリンピック種目に採用されました。

 

ケイリンの概要

 

歴史やルールの共通点を見れば分かる通り、ケイリンは競輪由来の国際種目です。
名称から分かる通り、自転車競技のトラック種目で使うコースに競輪のルールを落とし込んでいます。
そのため、コースが大きく異なり、ケイリンは小回りが利いてカントのキツいレースで行われています。

 

 

最大の違いはライン

 

競輪とケイリンの大きな違いはラインを組めるかです。
日本人のプロ選手だけが出場するケイリンは、2~3名の選手で戦略的に隊列を組むラインが認められ、競輪は団体戦の要素を持っています。

 

それに対してケイリンは国際レースの扱いになるため、国ごとの出走選手数によって優劣が出てはいけません。
ケイリンはラインが禁止され、ペースメーカーが離れた直後から個々の戦いでスプリントレースが繰り広げられます。

 

簡単にまとめると、競輪はペースメーカー(先頭誘導員)がいなくなってからもラインを活用した駆け引きが行われ、多くのレースがラスト1周前後での勝負になります。
ケイリンはラインを組めない特性から、ペースメーカーが離れた瞬間から激しいバトルが繰り広げられています。

 

ルールを似せてはいるものの、レース展開や波乱要素が大きく異なり、競輪のファンがオリンピックや世界自転車選手権のケイリンに注目することは少ないようです。
なお、日本からは競輪選手が中心に国際大会へ派遣されるため、馴染みのある競輪選手が出走する際だけケイリンを見る需要があります。